入力者 大坪寿子

昭和45年4月20日春季大祭

どんなに、立派な、盛大なお祭りを仕えさせていただくよりも、うー、どんなにたくさんな、あー、ご参拝を、おー、人が、例えばお広前がありますことよりも、わたくしは、私自身、わたくしがね、本当に助かると言う事が、一っ番神様が喜んでくださることだと、あたくしは思うです。ね、おかげをいただきまして、だんだん、まーいうならこのような、あー、お礼のお祭りが出来ました。けれどもね、このような例えば、おまつりよりもね、たくさんの参拝者よりも、一っ番、神様がお喜びくださることはね、わたくし自身が、本当に助かると言う事なん。わたくしが。ね、ですからみなさんも、それが言える訳です。ね、
ただいま、あー、やくいんの、おー、(?すぎおせんせいの?)懇切な、あー、とてもとても、あたくしどもでは、説き得ない、大変な難しい事を、あのように、見易く、うー、お話をいただきました。素晴らしいですね。学問をしておられると、ああいう、あのように、金光様のご信心、いや、あー、天地書付を、あのように、いー、かんで含めるように、分からしてくださる事が出来る。あたくしどもは、ただもう、和賀心、和賀心ばっかり。(笑い)先生がお話の中にも何回もおっしゃいました。ね、えー、金光教の信心の、究極のところ、は、この天地書付にあるのだと。いわゆる、あの和賀心にあるのだと。それはね、金光教の、あたくしは、信者、信奉者だけじゃない。世界中の全部の人間がです、本当の人間の助かりと言う事の、あたくしは、もとは、和賀心だと思います。ね、もうこれが、もうほんっとに、人間の幸福の究極のところはこれだと、あたくしは確信いたしております。ね、ですからあたくしどもは、もう、あらゆるたとえば、あー、問題、あらゆる、うー、事柄を通してですね、結局求めなければならないのは、その、和賀心だと、わたくしは、あー、思うとります。ね、
今日皆さん、あのように、天地書付を、ね、どうして、その、天地書付が、あー、有難いのか、ということをですね、えー、まー、あたくしが最近申しております言葉で申しますならばです、いわゆる、和賀心学なのであります。ね、あたくしはね、わが、和賀心学なんて聞いた事ないなんていうけれどもね、あたしゃ、そういう学問が出けなければ駄目だと思うです。ね、医学があり、科学があり、ね、栄養学まであるんじゃないですか。ですからあたくしは、どうでもね、和賀心学が、あたくしは、あー、いわゆる、先生方のような、あー、頭脳の方、同時に、信心の共のうた方がです、その和賀心学をもってです、ね、理を尽くして、あたくしは、和賀心がいかに大事なものか、人間の幸福には、もう絶対これが必要だと。キリスト教、例えば、仏教の事もお話なっておられました。ね、キリスト教で愛を説き、仏教で慈悲を説きますけれども、それは、あたくし、神様のものであり、仏様のものであってね、ね、その根底をなすものは和賀心だとあたくしは思うです。いわゆる、和らぎ喜ぶ心だと思うのです。ですから、ほんっきでね、あたくしどもは、あー、もう全ての焦点がね、全ての焦点が、あたくしは和賀心をもって、えー、そこに焦点が置かれて、あると言う事が本当の生き方だと、あたくしは思います。
あたくしは、先月、たまたま、あー、教組の神様の、おー、み教え、あのー、えー、教典以外の、おー、お書物を、おー、ある機会を得て、見せていただきました。そのことのなかにね、このような教祖様が、あー、教祖様が教えておられるお言葉がございました。ね、天のことはね、天のことは、ただむねに任せておけと。この方は地の事を説くと。言うお言葉があります。天のことは、ただむねと言うのは、あの当時、時期を同じにして、黒住教という宗教があっ、ございました。おそらくこのかたは、やはり天理、天のことを説かれたんでしょうねー。まーこれは一つの言葉のニューアンスでありましてね。事実は、教祖様は天の事も地の事も、おときになっておられます。ね、けれどもね、とりわけね、この方は地の事を説くとおっしゃることはね、あたくしはもう、素晴らしいと思うのですよ。ね、その地の事を説くと言う事は、地の心をお説きくださるんです。ね、たいちの心なのです。だから、たいちの心が分からせていただいたらですね、自ずとたいちの心にならなければならん。ね、それをあたくしが申します、成り行きを大事にして、いくということなんかは、やっぱそうだと思うんです。ね、そこから生まれてくるのが、あたしゃ、喜びの心であり、和の心だと、こう思います。ね、
またのみ教えにはですね、家庭の中にね、嫁と姑が仲が悪いと、天下が騒ぐぞとおっしゃる言葉があります。もう素晴らしい、素晴らしい。おそらくあたくしに学問があったら、これを素晴らしい、その教学的な、解き方が出来るんだろうと思うんですけれども、悲しいかな、それが出来んませんけれど、ね、いかにです、例えば、姑と嫁が仲が悪いと言う事がです、てんがにね、てんがに響くっちいう。ふっ、天地宇宙に響くっちいう。大変な事ですよね。これは、嫁としゅう、姑だけじゃありまっせん。夫婦だって、友達だって、ね、隣近所の事だって、仲が悪いと言う事はね、そのように天地に響くほどしのことがあるのです。
あたくしのばばがね、あたしん子供のときに、タニシを取って、きましても、絶対タニシ煮てくれませんでした。ね、タニシをね、(笑い)ありを、こう、煮るときに、ぐつぐつぐつぐつぐつぐつ言うて、そのー、おー、音がしますね。あれはね、仏様の世界にまでね、あれが響くっちいう。あの苦しい苦しい苦しんでおる、あの音が。だからそれで絶対に煮てやらんていわれよりましたようにですよ、あたくしどもが、例えば心の中に、いわゆる、和賀心とは反対の心。ね、憎みあったり、仲が悪いということがです、てんがに響くとおっしゃるのですから、ね、その反対の事を、あたくしどもが、信心によっていただいていかなければいけんのです。ね、その反対の心が、あたくしは和賀心だと思うんです。ね、和の心には問題がなくなる。賀の心。喜びの心にはおかげが伴うとおっしゃられます。確かにね、この和の心にはね、問題がなくなるです。どんなに問題がありましてもね、問題がなくなる。ね、それは夫婦の事を言うたが一番よいでしょう。夫婦の事は、もうそれこそ、夫婦喧嘩は犬も食わんていうん(笑い)ね、夫婦喧嘩は、ね、なぜ犬も食わんかと。一晩寝たら、あくる日はケロッとしておるからなんです。ね、夫婦が拝み会う。一晩や済ませていただいたら、もう、例えば、あっ、夫婦喧嘩はいつの事だ、だか分からんごと、もうなかようなっとる。問題がなくなってしまうわけなん。ね、女心と言うのはそのように素晴らしい事。なんです。ね。
賀の心。教祖様はね。またのみ教えに、賀の心を、佐藤宿郎という方に、説明しておられます。か、天地書付をお書きになって。そして、教えておられる事のなかにですねー。賀の心は、ね、祝い喜ぶ心だとおっしゃっておられます。ね、お誕生ですからお祝い、結婚式ではおめでたい。ね、という、その祝い喜ぶ心と言うんです。その祝い喜ぶ心とか、その和の心と言うのがです、ふんなら、どういうような信心から、生まれてくるかと言う事なのです。ね。それを、わたくしは、いわゆる、よめと、おや、姑の仲が悪かったら、ね、そのことが、てんがにまでも響くと言う事。ですからそこんとこをほんきで分からせていただいて、それの反対のことにならせていただこうという、あたくしは、精進が、信心だと。そこでね、そこで、あたくしどもは、教えを頂かなければならんと言う事なんです。ね。
わたくしは最近、うーん、お日参りをなさる方たちに、いー、口癖のように申しております。それはね、現代人の時代遅れということを申しております。現代人の、いわゆる時代遅れ。人間の知恵、力の、もう限界とも思われるほどしのですの、ことが、この70年という、年柄は、そういう意味においての、大変な深い深い、意義のある、年だと私は思います。ね、人間が月の世界にいけれるようになった。100億10万年もかかってから、へっ(笑い)今まで、まんまんしゃんと言っておった、お月様に、人間がいけれるようになったんですから。ね。人間の、先ほどのお話にもありましたように、コンピューター時代であります。人間の心のなかが分かる。機械で。それでも人間を幸福にすると言う事は、でけないのです。そこでそういうぎりぎりのところまで学問を究めた方たちがです。心だということ。いわゆる、精神革命ということを言うております。ね、だからその、精神革命というてもです、わたくしは、教祖様が教えられた、今日お話になりました、いわゆる、おかげは和賀心にあるという、その和賀心を求めなかったならばです、和賀心に本気で、姿勢を頂く事に、向きを変えなかったならばです、ね、ただ精神革命だけではいけない。あたくしは世界中、ね、今どれほどしの人間が世界中にあるかしりませんけれども、その世界中の、そのそう、いわゆる、氏子の上にです、ね、和賀心というものを、頂かなければ、いや、和賀心にならなければ、人間の幸福は絶対にありえないんだと言う事をです、分からせると言う事だけではね、あたしゃ金光教の信心の、させていただく者の、あたくしは、責任だと思います。ね、ですからね、まず、ね、お道の信心を頂くかせて頂いて、朝晩、天地書付を奉唱させていただえば、あたくしたちがです、ほんきでね、ほんきで、一心に、願い燃ゆらせることは、あたくしの心のなかに、和らぎ喜ぶ心を頂かせてくださいと言う事。ね、そこでです。ね、ただそれを願ったからと言うて、和らぎ喜ぶ心がいただけることではないのでございますが、そのねー、いただける事のために、私どもの家庭のなかから、自分の心のなかから、ね、
先ほど、嫁と姑がなかが悪かったら、てんがが騒ぐと仰せられるほどしのことをです、あたくしどもが、日日繰り返してはいないだろうか。ね、そこんところをですね、あたくしどもがおかげを頂き、しかも、ね、このかたは、天の事はたたむねに任せとけ。この方は地の事を説くとおおせられた、いわゆるたいちの信心なんです。ね。どういう汚いものを持ってきても、どういう難儀な問題が起きてきても、それを自分の心ひとつに、じーっと、受けて答えて辛抱して、生神金光大神様とおすがりさせていただくと言う事がですね、いかに、そこに和賀心の、という答えが出てくるかと言う事を、わたくしはこの20年間の体験から申し上げる事が出来ます。なぜかというと、それが神様の心だからなのです。あたくしどもの前に起きてくる、一つの難儀と言う問題もです、これは、大坪総一郎にですね、神様が求めたまうところの、信心なのです。ですから、こういうものを向こうにやると言う事よりも、それに本気で取り組ませていただくと言う信心をですね、本気でなさらなければならない。その事を、神様がこよなく喜んでくださる。ね。そのことを喜んでくださる、その喜びが、私の心の中に、照りかえってくる。それを、わたくしは、和の心であり、賀の心であると、ただ、和賀心にならせてください。くださいだけではいけない。と、あたくしは思うのです。ね、わたくしは今年に入りまして、この70ねんというお年柄も、たっいへんな年だと、いう風に感じさせていただきましてね。もう、明けても暮れても、皆さんにですね、和賀心和賀心。しかもあたくしで分からせていただいておる限りに、おいてです。いかにすれば、和の心がいただけるか。喜びの心がいただけるかということをです、日日説かせていただいて。
廊下で、今度、おかげの泉と言う、第2集が出ております。1章2章あわせてお読みください。毎月でており、これから出ることになっとります。えー、いち、一月のうちの、えー、朝のご理解をまとめて物です。そのなかにあたくしがね。只今申しております、特に、この1章2章にはね、この和賀心がいかに、大事であるかと言う事を、わたくしの体験を通して、えー、聞いてもらおう、または分かって頂こうと言う、うー、意図の下に、えー、この御理解研究会の方たちが、な、なしておりますから、どうぞ一つ、あれをお買い求め頂きましてね、あれは、だいたい55円かかっておりますばてっん、50円で言(笑い)いそうですから、どうぞ、ね、ぜひひとつそれを、お読みくださいましてね、いかに、和賀心ということが、なるほど、お道の信心の究極のところがここだということ。ね、いや、人間の幸福の究極は、究極はこれだと言う事。これは、(なにしゅ、なには?)でもですね、信心のない人でもですね、このたとえば、和賀心学を持って、分からせるような、だからそういう学問がですね、義務教育のなかにも入ってくるごたる、おかげになってくると、あたくしは確信します。ね、そして、わが心にならなければね、人間の幸福は(?なんさまおう)だっちゃだめという。和賀心が根底にならなければ。ということをですね。あたくしは、世界中のいわゆる、そう氏子にね、分かってもらいたい。ね。あたくしがそりゃ一生かかってんかって、そりゃどうか分かりませんけれどもね、まー、とにかく、むかし1億一心と言う言葉が流行りましたね。戦時中に。そこでです。いわゆる、現在日本にどれだけの人がおるかしりませんけれども、ね、例えば金光教の信心しておるもの、信奉者の全部が、ね、この和賀心に焦点をおいての日常生活。ね、それを求め求めしてのおかげ。
あたくしが先日、えー、熊本から参ってきます、まつむらさんという、うー、ガソリンやさんがおります。ね、「あーなかなかその和賀心にならなければおかげが受けられん」とおしゃるのじゃないですよ。だからね、自動車に乗るときにね、あの、和賀っち、思うただけで、交通事故はないよと、あたくしは言うとります。まーね、和らぎ喜ぶと、思うただけで、そして自分のこころに、和の心も和らぎの、喜びの心もないけれども、和賀んなら、和賀ということを思い出しただけでもです、これが幸福の根本だと分からせていただいて、ハンドルをにぎんなら、絶対交通事故はないよと、あたくしはいっております。ね、それがましてや、和賀心をですね、目指していくことになったら、これはもう、間違いなくお徳が受けられることを、あたくしは確信いたします。ね、そして、人間の本当の幸福は、ここ、これが根本なんだ。これが源泉なのだ。あたくしどもの心が。ね、
ご神訓の中にもです、ね、今月今日一心に頼め、おかげは和賀心にある。今日はその一心に頼むと言うところを、大変教学的に教えていただきましたですねー。あたくしどもは、あのような難しい事は分かりません。けれどもね、今月今日で一心に頼むと言う事は、氏子のこと。あたくしどもは願わなければおられませんもの。信心が分かれば、分かるほど、ね、いうならばいよいよ、障子一重がままならぬ人の身であることは、わたくしが何が出来るかと。いよいよ、我無力であるということをね、分かれば分かるほどです、ね、やはり、すがらなければおられない、頼まなければおられないのである。そこで頼むのです。そこで神様が、そんならば、和賀心になれよとおっしゃった。あれは神様の言葉だから。一心に頼むということが、あたくしどもならです、神様は、ね、そんなら、和賀心をほんきでもとめてくれよと、そこにおかげの、いわば、人間、おかげと言うよりも、人間の幸福ですよ。ねー。

(音切れ)


一心に頼むということが、あたくしどもならです、神様は、ね、そんなら、和賀心をほんきでもとめてくれよと、そこにおかげの、いわば、人間、おかげと言うよりも、人間の幸福ですよ。ねー。というものがです、そこにあるということを、みなさん一つ、ほんきでね、もう、毎朝唱えるだけじゃいけません。(?2へんづつも)繰り返して、唱え、唱えるだけじゃだめです。ね、ほんっとにその、和の心を、賀の心をね、あたくしどもの日常生活の上に、頂いて、いただけんとこは、そこからどうしていただけんのかということを追求して、ね、いよいよ、あたくしはここにですね、コンピューター時代とか、または、(嫌の言葉?)のなかに(だんぜつ?)時代なんて、いう、いうておりますですねー。いわゆる、宇宙時代なのです、ねー。その宇宙時代にです。必ずね。これから、和賀心時代が来るということを、私は思います。また来なければならんです。ね、その和賀心時代を、わたくしの心から、わたくしの一家の中から、一ついただいていこうじゃないですか。どうぞ、ご挨拶が、ながくなりました。どうぞ。ほんっとに。